遠州常民文化談話会
 

見付かぼちゃの歴史
明治後期の見付かぼちゃ集荷風景(一番町)大正13年(1924年)の見付かぼちゃ集荷風景(地脇町)

明治初期に菓子商を営む前島傳之助氏(当時の町長・前島亮治氏の4代前)が菓子原料仕入の為名古屋へ出掛けた帰途、とても品質に優れたカボチャの種を見つけ、持ち帰って植えたのが見付かぼちゃの起源とされています。見付町北野の報徳運動の拠点であった報徳社の裏手にある畑が、初の種まき場所と言われています。さらに明治30年代には、北井上(二番町)の平田弥曾吉氏により普及が進められ、東は静岡、西は豊橋辺りまで、更に昭和に入ってからは沼津方面へも出荷されるようになり、当時の県勢要覧にも謳われるほど、盛んに生産されておりました。 戦中戦後の食糧難の時代、見付かぼちゃはこの地域の人々の食生活を支えてきましたが、戦後西洋カボチャの普及に押され、やがて姿を消していきました。

「しずおかの在来作物」(稲垣栄洋静岡大学農学部教授著)によれば、見付宿周辺の丘陵地帯では、安土桃山時代(織田信長·豊臣秀吉)頃からカボチャが栽培されていたそうです。Wikipediaによれば、アメリカ大陸原産のカボチャの日本への伝来は、諸説ある中で、天文年間(1532年-1555年)に豊後国(現在の大分県)にポルトガル人がカンボジアから持ち込んだのが有力とされていますので、見付での栽培は、相当古い歴史があることが確認できます。しかし、その後明治初期に至るまで、記録には見られないようです。